知る

住職ごあいさつ

当寺院は、三重県四日市市北部に位置し、額突山ぬかづかやまを背景とした高台にあり、近鉄電車の西側車窓より(富田駅~霞ヶ浦駅)本堂の大屋根が眺められます。

当寺院の第21世住職として早や40年。

17歳の時に父が早世し、23歳で住職となり、当時僧侶としての生き方もわからない未熟な私を温かくお支え下さったのはご門徒の皆様であり、そして私の知らない父の一面をお聞かせ頂いたのは決まって仏事をご縁とした語らいの場でありました。

当寺院に薬箪笥や薬研があったことで当時を想像するに、人々が病をはじめとする日常を語る場であり、集う場であり、安らげる場であったのだろうと・・・・

ここ数年、葬儀をはじめとする仏事が様変わりし、残念ながら広い意味での仏縁に触れる機会も減ってきたように思います。

先人が大切にされてきた「仏さまとのつながり」「人とのつながり」をこの変わりゆく時代にこそ、より受け継いでいきたいと思う所存であります。

太子堂での葬儀・年忌法要、合同墓への納骨、仏事に関わることをお気軽にお尋ねください。

合掌

浄土真宗本願寺派斑鳩山はんきゅうさん 浄恩寺じょうおんじ

開基 圓爾1488年
(長享2年)
本願寺第8代蓮如上人が北勢地方を巡錫の途次、垂坂観音寺の塔頭である大膳寺に寄宿された際、時の大膳寺の住職であった圓爾は教化を受け、蓮如上人に帰依し、六字名号を下賜されます。
圓爾は続く延徳年間(1489~1491)に天台宗から浄土真宗に転宗し、大膳寺を出て草庵を結びます。
これが浄恩寺の始まりとされています。
1499年1月28日本願寺実如上人より阿弥陀如来絵像を賜る
第5代 空源1574年第5代空源は伊勢・美濃・三河の浄土真宗(一向宗)僧徒と長島城に立て籠もって織田信長に抵抗します。長島一向一揆です。三次に亘る合戦に果敢に戦った一揆勢でしたが、1574年(天正2年)遂に敗れてしまいます。
愛西市大井の地には、空源を弔う為残る者がおられ、今もご門徒があります。
第6代 西順1579年本願寺直末となる。
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第8代 道誓1623年本願寺第10代ご門主准如上人御影を受ける
1667年木佛本尊を受ける
第9代 良玄1684年聖徳太子・七高僧御影を受ける
第12代 秀吟現在地に移り4間4面の本堂を建立
第17代 一専1872年勧学(教学の研鑽を究めた指導的立場の僧侶に与えられる称号)
1873年鈴鹿郡深伊沢村伊船より廃仏毀釈により取り壊された太子堂を譲り受け再建
第18代 専行1892年現在の8間4面の本堂を建立
第21代 専英1992年本堂・山門の屋根修復、内陣修復、太子堂を再建

浄土真宗のみ教え

出会い

人は生涯においてさまざまな出来事を通して、
さまざまな人と出会い「よろこび」や「かなしみ」を経験していきます。
≪困ったときの神頼み≫と言う言葉がありますが、
浄土真宗は日常生活の中で困った時に引っ張り出してくるものではありません。
浄土真宗は日常生活の底辺を支えるものです。

みなさまに浄土真宗・お寺が身近な存在となってご縁を結んでいただけますように。

浄恩寺ではこちらの活動にも賛同しています。